話題の10歳「少年革命家ゆたぼん」をめぐる問題の本質は何か?

横浜ベイブリッジ/大黒埠頭にて撮影

以下は、まぐまぐ無料メルマガ「ふくしま国語塾・福嶋隆史の教育情報局」No.168(2019/5/9)を転載したものです。
まぐまぐ無料メルマガではこれまで、ログは無料公開されていましたが、突然4/15から非公開になってしまったようです。
今回の記事はぜひ多くの方に読んでほしいので、サイトにて公開します。


まずは、以下の記事をお読みください。
「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」
もうご存知の方も多いと思いますが、5/5のこどもの日にヤフーでとりあげられた、琉球新報の記事です。
これがまたたく間にネット上で話題になりました。
ヤフーリアルタイム検索で「感情」の割合をみると、どうやら否定的な意見のほうが多いようです。
要は、「叩かれている」わけです。

ただ、ネット上で叩いている人たちにも、2種類います。

1つは、個人攻撃をしている人。
もう1つは、教育問題として意見を述べている人。

前者は、やめましょう。
彼らは、中村逞珂(ゆたか)君という子ども本人とその父親、そして家族に至るまで調べ上げ、あらさがしをしています。
たしかに、報道にない事実を探ることは無駄ではありませんが、やはり個人攻撃は穏やかではありません。

張り切って個人攻撃をしているネット民の多くは、
「わずか10歳の子が」
「楽しそうに自己主張し」
「それが新聞やヤフー記事に載り、社会的に“評価”されている」
といった事実に対して不満・羨望・嫉妬を抱いているのでしょう。
そういうことをしても、あまりよい未来にはつながりません。

そもそも「中村君」は、ただの具体的事例の1つにすぎません。
一般化できる範囲で一般化し、本質を考えていかないと、せっかくの報道が無駄になります。

* * * * *

とはいえ私も、この件については否定的な印象を持っています。
ヤフー記事を読んだ直後、以下のようにツイートしました。

「これはあかんやつだね。30年後に後悔するやつだね。学校いけ。学校。宿題もやれ。ちゃんと」

「私は状況によっては不登校も全く構わないと思うが。学校という場の問題点もよくわかってるし、フリースクールでボランティアも随分したし。でもこの子の行動は読む限りでは「ただのわがまま」。不登校でもなんでもない。それを周りの大人が煽って評価してるんだろ。こういう記事もまた同じ。罪だね」

「少年革命家? 革命・改革・変革というのは、まず常識を知り、そのうえでそれを乗り越えていくもの。その前半のステップを無視してはどうしようもない。ただの独り善がりにしかならない。それを教えていくのが大人の役目。その役目を果たさない大人に囲まれた子どもは不幸」

「私はいつも授業で「常識を疑い逆説的にものを考えろ」と指導しているが、その前に必ず、「まずは常識を知れ」と指導している」

「こういうのを称賛しちゃうところに、根深い問題があるんだよ。「他者の文章におののくことができない」という話に先日触れたが、まさに同根」

「ただ、youtubeでも文章でも、アウトプットをひたすらやってると、自分の無知を知る機会は必然的に増えるからね。そのときどうするか。そこが岐路になるだろうね」

「最近授業した河合隼雄『こころの処方箋』には、「自立は依存によって裏づけられている」という文章がある。あまりに早くから自立を目指すとそれは自立ではなく孤立になる。それよりも、依存を自覚し、依存している相手に感謝すること。それが自立の前提だ。と言っている」

先にも述べたとおり、私は今回の件には否定的印象を持ちました。
ただ、個人攻撃をしたいネット民とは違います。
これらのツイートに、問題の本質が含まれています。

それはすなわち、「他者軽視・自分崇拝」の傾向をもった年齢層が下がっているということです。

自分という存在に万能感を抱くのは、高校生~大学生くらいでしょう。
それが、中学生どころか、小学生、しかも10歳というレベルにまで下がっている。
ここに、危機感を覚えます。

「学ぶ」とは、言うまでもなく「他者から」学ぶのです。

他者から学ぶ。しかるのちに、自己が磨かれる。

年齢層が低ければ低いほど、他者から学ばなければなりません。
当然のことです。

ところが、昨今の教育界は「自分崇拝」を推奨しています。

アクティブラーニングが、その典型です。

教師という「他者」から課題を提示されたり知識を伝授されたりするのではなく、児童生徒が「自分」で課題を見つけ知識を学び取る。

こうした傾向は今に始まったことではありませんが、アクティブラーニングが唱導され始めてから、いっそう強まっています。

ひごろ読解指導などをしていると、「おれが読めない文章は悪文」というような態度で取り組んでいる生徒に出会うことがあります。

他者の書いたテクストがよく分からないとき、それを他者のせいにするのか、自分のせいにするのか。
もちろん、本当に悪文であることも多々ありますが、知識・技術の少ない子どもたちが、大口を叩いて「これ悪文でしょ」と言い放つのは問題があります。

そうした「おれさま」君たちは、他者から学ぶことができません(その結果、読解力の低下も起こります。こちら参照)。

そう聞いて、アクティブラーニングをやっている先生方は、こう言うかもしれません。
「いやいや、友だちという他者から学んでるでしょ」などと。

たしかに、その価値がゼロとは言いません。
しかし、教師から学ぶこととくらべれば、はるかに低い。
知識・技術・経験において、はるかに「先人」なのですから。教師は。

教師が教えるのではなく、子どもが教える。
教師から学ぶというより、子どもから学ぶ。

アクティブラーニングのこうしたあり方が、「他者軽視・自分崇拝」の傾向を強めていることには、疑う余地がありません。

* * * * *

話を戻します。

今回の「ゆたぼん」の件は、こうした傾向が強まり、年齢層が低下していることの象徴だと思います。

もちろん、「ゆたぼん」自身、本も読んでいるでしょうし、身の回りの多くの「他者」からも学んでいるでしょう。
しかし、それは量的にも質的にも、偏りのある「学び」になりがちです。
学校という場の価値は、そうした偏りを極力減らし、知識・技術の基礎をまんべんなく与えてくれるところにあります。
また、専門家である教師という他者が導いてくれることの価値は、決して無視できないはずです。

「他者」から学ぶために用意されたシステムである「学校」を軽視し、切り捨て、「自分」でいくらでもやっていけると過信することは、危険である。

そう言わざるを得ません。

茂木健一郎氏のように、そういう危険性を顧みることもなく手放しで「応援」宣言したりする著名人がいることもまた、危険だと思います。

もちろん、学校という場がはらむ多くの問題を、私は重々承知しています。
ろくでもない教師が多いことも、よく分かっています(小学校教育が危ない!参照)。

しかし、だからといって、自己過信を称賛するわけにはいきません。

* * * * *

これは、実は日本社会全体の大きな問題だと思います。

大ヒット曲「世界に一つだけの花」に、それが象徴されています。

金子みすゞ「私と小鳥とすずと」も同じです。

みんな違って、みんないい。

この、過剰なまでの多様性重視の思想が、「おれさま」君たちを生んでいるのです。

ただ、このあたりは、また別の場で(過去にも多々発信していますので、当サイト上を探してみてください)。

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