来年配付の最新版国語教科書の本文に見る「教科書の限界」(無料メルマガNo.177を公開)

薄暮の"象の鼻湾"

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ふくしま国語塾・福嶋隆史の教育情報局

No.177 来年配付の最新版国語教科書の本文に見る「教科書の限界」/共通テスト。自由記述に価値があるのではない

2019/12/06

みなさんこんにちは。

ひどい風邪から少しずつ復活しつつある福嶋です。

今号では、ツイッターおよびサイトに掲載した情報を3つご紹介します。

◆ 1つ目。新聞記事について。

読売新聞2019.12.5一面トップをごらんになりましたか。

新聞記事の一部→ http://www.yokohama-kokugo.jp/2019/12/05/yomiuri/

「この公園には滑り台をする」

この見出しおよび冒頭に書かれたことは、まさに、私の本『ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集[一文力編]』の内容です。

→ 本の内容詳細: http://www.yokohama-kokugo.jp/books/one_sentence/

忘れてはならないのは、この記事冒頭の例は高校生の話だということ。

一文をいかに正しく書くのか。
あるいは、いかにして「書けているつもり」に気づくのか。

この課題は、小学生に限らず、中高生、いや大人になるまでずっと続くのです。
「一文を書けない子」に悩む先生方にもきっと役立つであろうこの本を、この機会にぜひ入手し、活用していただきたいと思います。

amazon→ http://urx.space/0rBj

◆ 2つ目。光村教科書について。

4年に一度改訂される教科書。
来年は小学校教科書の改訂版が配付される年です。

光村図書の最新版教科書の内容を、書き手自身がウェブに公開していましたので、チェックしてみました。
それについてのツイートです。
(以下、文体が変わります)

この※「インフォグラフィックス」の文章も、「アップとルーズで伝える」の文章も、型が複雑。

http://tubelog.hatenablog.com/entry/2019/12/02/111051

対比を教えたいのなら
「アはAだがイはB」
だけにすべきなのに、
「アは1ならAだが2ならB。一方、
イは2ならAだが1ならB」
となっている。なぜこうなってしまうのか。

それは、価値の相対性を重視しているから。
「アはAだがイはB」だと、どちらかの価値に傾く。
「タクシーは便利だがバスは不便」のように。
これを、目的を考えるとどちらにも良し悪しがある、という文章にするために、そういう複雑な型をとっている。

でもそれなら、タクシー重視の文章と、バス重視の文章を分けるべき。一緒にすると、対比関係の接続語が3回出てきてしまう。超複雑になる。
「アは1ならAだが2ならB。一方、イは2ならAだが1ならB」の、「が」2回と「一方」の3回。

結局これも、内容重視、形式軽視。
教科書の限界。
その限界を乗り越えてもらいたいもんだが。光村には。

(ツイートここまで。文体戻ります)

お分かりでしょうか。
書かれているものごとの価値というのは、「内容」です。
価値重視は、内容重視。
道徳的価値を重視するのも、内容重視。

教科書には非道徳的な文章など1つも出てきません。
非道徳的とまでいかずとも、たとえば、「なぜ戦争が起きるのか。戦争にもメリットがあるからこそ戦争が起きるはず。ではそのメリットとは何なのか?」
というような内容は、ふつう、載りません。
戦争のメリットなんて書こうものなら、クレームもんだからです。
もっと言えば、先般の「表現の不自由展」をめぐる問題のようなセンシティブな内容も、当然載りません。

しかし、価値の相対性を重視するのなら、こういうセンシティブな内容についても、ちゃんと価値の相対性を重視して、両論載せてもらいたいものですね。

言うまでもなく私は、授業の場で、「戦争のメリットとは何なのか」とか、「表現の不自由展の問題とは何だったのか」とかいうことを、平気で扱ってい
ます(もちろん、校種学年に応じた話題の振り方をしますが)。

子どもたち、みな興味津々に聞いていますよ。

一方で、教科書に載っているお涙頂戴の戦争文学とか。
飽き飽きしませんか?

◆ 3つ目。大学入学共通テストについてのツイート。

この記事について→ https://dot.asahi.com/aera/2019112800014.html

「自由の制限」を問題視するのは、やめたほうがいい。
全く思考力を測れない設問だ、というのも間違っている。
問い自体には相応の価値がある(たとえば※)。
https://mine.place/page/a61210c5-2309-4129-98f8-d6e3c24614be

問題はあくまでも採点の質。あくまでもこの1点で追及すべき。

たしかに解答条件の量は異常。
しかし、読解設問に「唯一の解答」があるのは当然のこと。
大切なのは、自己表現ではなく他者理解。
自己表現における自由ではなく他者理解(=他者の文章の再構成)における自由。
そこを勘違いした批判は、そもそも「読解テスト」そのものを否定していることになる。

他者理解において「唯一の解答」があっても、それを記述式で書かせれば、言葉には幅が出て当然。
それを不当に制限するほどの条件づけは問題だが、それを「受験生の個性の制限」のような捉え方で批判するのは大間違い。残念ながら最近の言説にはこ
ういうのが混じってきている。眉をひそめる。

記述式における「自己表現の自由」を主張するのなら、マーク式においても、「この5つの選択肢には俺の考える解答はない、どれも間違いだ!!」という
ような一貫した主張をしてもらいたい(笑)

今号は以上です。また次号にて!

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