指導ポリシー


  • 教えることと学ぶこと

    • 古来、学ぶとは真似ぶことである。模倣こそが学びである。
      • 自ら学ぶ力は、他者の模倣の繰り返しの先でこそ獲得できる。
      • 模倣なき独創はない。あらゆる独創は模倣から始まる。
    • 教育とは知識・技術を与えることである。与えることをためらってはいけない。
    • 教えるとは、真似させることである。真似できないことを教えることはできない。
    • 指導者(教師)はteacherでなければならない。最近流行りのfacilitator(ファシリテーター)は教師とは呼ばない。
    • 学校教育に存在するのは学習指導要領である。学習支援要領など存在しない。
      • 自主性尊重の美名の下、させるという言葉を毛嫌いする教師はニセモノである。

 

  • 指導者の資質

    • 自信のある指導者に習うからこそ、生徒にも自信がつく。指導者は常に堂々としていなければならない。
    • 指導者は常に自らを磨き、学び続けなければならない。学ぶ教師の生徒は伸びる。学ばない教師の生徒は伸びない。
    • 生徒との間に距離をとることが、指導を可能にする。物理的距離心理的距離、そして能力的距離である。
      • 生徒と恋愛したり生徒にわいせつを働いたりする教師は、それらの距離がいずれも近すぎるということである。
    • 時間を守るのはあらゆる指導者の最低条件である。授業は定刻に始まり、定刻に終わる。ズレても1分まで。

 

  • 塾のあり方

    • 塾は学校ではない。厳しい場である。
      • 塾の指導者と生徒の関係は師弟関係のようなものである。
      • 生徒には、師の教えを守る決意と、それを吸収する熱意が必要である。
    • 一方で、子どもの本業は学校だ。塾での勉強は、いわば自らすすんで行う残業である。
      • 日中の活動で疲れているのはみな同じ。残業に耐えられず集中できないならば、早く退塾したほうがよい。
      • 高い金銭を支払って残業しているということを、生徒たちは常に認識すべきである。
    • 塾は学校にくらべて時間的制約が大きい。塾外の場における積極的な自学自習が求められる。
      • 宿題は出さない。しかし、1日5分の自主的な学習を積み重ねるような姿勢は不可欠である。

 

  • 知識について

    • 知識思考は切り離せない。
      • 知識偏重から思考力重視へ、などというのは馬鹿げた議論である。知識も思考も、どちらも重要である。
      • 知識軽視する人間が学力を向上させることなど到底できない。
    • 体験的知識の総量が国語力を決定する。→ 参照 
    • 知識とはなにか?→ 参照 
      • 学校で習ったかどうかは関係ない。たとえば、習っていない漢字でも積極的に身につける必要がある。
    • 歴史が生み出した知識を伝えるのは教師の仕事であり、クラスの友達の仕事ではない。
    • 教師が教えず友達が教える、友達どうしで学び合いをするというようなアクティブラーニングの流行は、害悪でしかない。→ 参照 

 

  • 国語について

    • 国語力とは思考力であり、年齡によらず不可欠である。本来、教科の枠を超えている。
    • 国語力とは思考力であり、文系・理系など全く関係なく、圧倒的に重要である。
    • 国語に学年は関係ない。むろん語彙知識の量の影響は受けるが、その量は学年レベルとイコールではない。
    • 国語指導者には多方面の幅広い知識が求められる。森羅万象が言葉の指示対象である。

 

  • 発想力について

    • 賢いひねくれ者”になることが必要である。
      • プラスからもマイナスからも物事を俯瞰できる、相対的な視点を持つことが必要である。
      • まず常識を知り、そのうえで逆説的発想を持つことが肝要である。
      • まず歴史が積み上げてきた知識・常識を知ること。そのうえで、そこに疑問を持ってみるということである。
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