中学受験で第1志望校に落ちたほうが”よい”理由
- 2018/2/10
- 教育関連情報

~ 第1志望校に合格できなかった子と、そのお母さんお父さんへ ~
2009年のメルマガログ(一部加筆)
この2月の中学受験も今やすっかり終わり、
第1志望校に合格できなかった子、
そんな方に、次の言葉を贈ります。
鶏口となるも牛後となるなかれ
言わずと知れた言葉です。
牛の尻尾についているより、鶏のくちばしとなれ。
ハイレベルな集団の中で「最後尾」についているよりは、
そういう意味です。
希望通り、
しかし、当然のことながら、その中学に入ってからは、
それは、とりもなおさず、「落ちこぼれてしまう」「相対評価(
現に、レベルの高い中学に入学したのはよかったのだが、
「何を言っているんだ。うちの子は、もし受かっていれば、
そういう声も聞こえます。
もちろん、その可能性はあります。
しかし、可能性としては、学年の中で中位~
それよりは、第2志望の学校でしっかり頑張って、
実は、これは、実際の体験に基づく話なのです。
何を隠そう、私自身の体験です。
私は、自身の中学受験において、
第3志望の攻玉社中学校に入学しました。
普通なら、落胆したり、意気消沈したりするところなのでしょう。
しかし、私は、とくに落胆も消沈もしませんでした。
新しい中学生活を意気揚々とスタートさせました。
そして、1学期の中間試験は、学年200名強の中で、
ほぼ、全科目1位。
10教科近くの平均点が、96点くらいでした。平均点が、です。
中学に入ってから塾に通ったわけでもないし、
単に、日々真面目に勉強し、真面目に授業を受け、
期末も、総合3位。
その後、高校3年生で卒業するまで、
結果として、学力別のクラスでも、高3までずっと、
私立中高の先生方は、優秀な生徒をほしがっています。
これは、当然のことです。
だからこそ入試を実施するわけです。
そんな中で、1位~30位くらいの生徒は、当然ながら、
何かにつけて、ほめてもらうことも多くなります。
学級の中で、普通に先生方にほめてもらえるだけではなく、
そうしてその生徒は、学校の中での自己の存在価値を実感し、
もし、第1志望のA中に入っていたら、もしかしてもしかすると、
そう考えると、どうでしょう。
第2志望で、むしろよかったのではありませんか?
もっと言えば、第2志望も第3志望も全て落ちて、地元の公立中に通うことになったのだとしたら、自己の存在価値を実感できるこうしたチャンスは、最大限に高まるのです。
こんなに楽しみなことは、ありません。
意気揚々と、公立に通い始めてください。
私は、先に書いたように、多くの先生方にほめてもらいながら、
中2のときには、英語スピーチコンテストで学年3位。
高1の6月には、英検2級に合格して表彰。
高3のときには、読書感想文コンテストで最優秀賞。
そして、先生方への感謝と尊敬の念も、高まりました。
これは、自慢でもなんでもありません。
第2志望校、第3志望校に入学することになり、
もし第1志望に進学したらかなわないかもしれない多くのチャンス
私は、私の事実を書くことで、それを伝えたいのです。
自己の重要感を得ることは、何にもまして、
今や世界の誰もが知っている名著『人を動かす』の著者、デール・
「人間の持つ性情のうちで最も強いものは、
そして、こう続けています。
「ここで、ジェームズが希望するとか要望するとか、
この、他者に認めてもらいたいという気持ちが充足され、
私がもし、今から33年前の2月、
そして、早稲田大学に入学することもなく、
中学入試は、たしかに、人生の転機です。
しかし、第1志望に受かることが、イコール、
そうそう、もう1つ。この故事成語を知っていますか。
人間万事塞翁が馬
人間、あるできごとの価値がいつ逆転するか分からないから、必要以上に喜んだり悲しんだりしないほうがよいという話です。
ぜひ、前向きに。
明るい未来が、きっと、待っていますから!!