2020年を振り返る断章録

ガンダムのように力強く2021年を迎えるために、2020年を振り返ってみた。(港の見える丘公園から撮影)

公私とりまぜつつ、あまり体系的にせず思いつくままに、2020年を振り返ってみた(約13,000字)。

~ 目次 ~

どちらかと言えば恵まれていた

  • 2020年。誰にとっても、予想外の1年だった。日本だけではない。世界の誰にとっても。――それが、せめてもの救いだろう。共感し合える人が、世界中にいるということが。
  • コロナ禍の中にあっても、飛躍を遂げた人たちがいる。時期的に浮かぶ人と言えば、たとえば紅白初出場のNiziU。瑛人。鬼滅の刃の作者。あるいはまた一般的に、恋人ができた、結婚した、仕事で昇進した、宝くじが当たった、むしろ健康になった、などなど、さまざまな向上を遂げた人が、必ずいる。そういう話を見聞きすると、そこに人間社会の希望を感じられる。
  • そうはいっても大半の人は、程度の差こそあれ鬱々とした日々を過ごしてきた。私もどちらかと言えば、その一人である。
  • ただ、私はかなり恵まれていたほうではある。たしかに塾は順調ではなかったが、オンライン授業という代替手段に救われた。飲食、宿泊、観光、交通など、代替手段のとりにくい業界が致命傷を負っているのにくらべれば、塾というのは本当に救われている業界だ。
  • 当塾も4~6月はオンデマンド授業(動画提供)のみ行っていたので、その間は生徒数が増えず痛手を負った。しかしその後はオンライン授業を導入したことで回復の軌道に乗ることができた。当初は動画販売を全国展開しようとECサイト構築も準備していたが、夏以降はオンライン授業に舵を切った。
  • ただし、相変わらず現状は私1名での運営なので、リアル授業と同時にやらなければならない。そこで見出したのが、いわゆるハイブリッド授業。対面・オンライン同時並行授業である。これも、10月から開始して軌道に乗った。まあ、準備には相当な金と時間がかかったけれど。
  • 出版のほうでも好調を維持できた。2/27に打ち出された全国一斉休校の直後には、たとえばベーシックがamazon総合136位という驚異的な売れ行きになった。家庭学習のニーズが急激に高まったからである。たしかに、4月の緊急事態宣言後にamazonが流通上「生活必需品」を優先する措置をとった影響でガクッと売れ行きが落ちた期間があったとはいえ、全体に見れば好調だった。このあたりは、下記グラフで一目瞭然である。
  • 今年唯一の大仕事となった最新刊『ふくしま式で最難関突破! 男女御三家・難関校 中学入試国語を読み解く』は、本来は9月ごろ刊行する予定だった。ところが、執筆の序盤(3~5月)、オンデマンド授業用の動画撮影と編集に多大な時間をとられた影響で、完全に出遅れてしまい、結局11/28という発売日になってしまった。とはいえ、現在好調な売れ行きを維持している。
  • まあ、過去最高の感染者数を更新し続ける感染状況によってリアル書店から足が遠のいているであろうから、その意味では心配が残るが、それでも他の業種にくらべれば、出版が受ける影響はさほど大きくはない。

反感が共感に変わる

  • 人間、強い反感を覚えた対象には実は強い関心を持っているものである。反感も一種の興味関心である。そして、一定期間が経過した後でいつの間にかその反感が共感に変わっているということもある。
  • コロナ禍においては、誰にもそういったことが多かれ少なかれ、あったのではないか。政治家、医師、◯◯評論家。あるいは家族、同僚上司部下など、身近な人々。そうした「他人」の意見と自分の意見が食い違い、場合によっては強い反感を覚える。でも数カ月後に振り返ると、あのときのあの人の言葉のほうが正しかったのかもしれない、と思うようなことが。
  • そんなふうに揺れ動きながら、誰もがこの1年を送ってきた。正直、専門家である感染症専門医とて同じだろう。要は、世界中の誰もが未知だった。コロナ禍が始まって1年近くが経とうとしている今、徐々に未知が既知に変わってきているが、まだまだ未知だらけである。
  • 「『分からない』をベースに連帯するしかないのだと思います」「実際には世界中の人々がまだ実験のさなかで、ウイルス対策の正解は残念ながら誰も手にしていない。みんなが心のどこかでそう思っておくこと、一種の断念を共有することが、連帯への土台になるのではないでしょうか」――そう語るのは、哲学者・批評家の東浩紀氏である(朝日新聞インタビュー2020/08/05)。
  • 私自身のコロナ禍に対する身構えがやや変化したきっかけの1つはこのインタビュー記事であったと、今になって思う。
  • このインタビュー記事は、そもそも東浩紀氏のツイートに端を発して行われたものである。そのツイートを見た当初は、反感を覚えるばかりだった。当時の私はそれを単にコロナ禍の軽視であるととらえた。堀江貴文氏、三浦瑠麗氏、小林よしのり氏なども、アプローチこそ違えど、コロナ禍に対する世の中の反応を大げさであると評しており、東浩紀氏も同様だろうと思っていた。
  • しかし、インタビュー記事によってより詳しく氏の意図・考え方を知り、ちょっと待てよ、と思うようになった。その後、その内容を当塾の中高生向け授業において小論文課題として扱った。氏の考えはこういうことなんだよ、と私自身が言葉を整理して生徒たちに伝えることを繰り返すプロセスの中で、自分自身が自身の言葉によって変容させられていくのを感じていた。
  • 東浩紀氏の一連のツイートを、画像で示しておく。
  • ここでさらに、最新刊『ふくしま式で最難関突破! 男女御三家・難関校 中学入試国語を読み解く』のP.218~220から引用しておこう。雙葉中学校の解説の最後の部分である。
  • ここまでかなりのページ数を費やしてしまったが、最後にもう一つ書いておきたい。
    今回の文章の価値は、やはり問十六の内容にある。
    つまり、真の「共生」とはどういうものか、ということだ。
    折しも、これを書いている二〇二〇年(夏)は、新型コロナウイルス禍まっただ中である。日本のみでなく世界に広がり、パンデミックが進行中だ。
    そんな中、興味深い記事があった。ここで紹介しておく。
    朝日新聞、二〇二〇年八月五日の朝刊に掲載された、批評家・東浩紀氏に対するインタビュー記事である。
    (インタビュアー)「コロナ危機の中で今回、イタリアの哲学者アガンベンは、生き延びること以外の価値を持たない社会になってしまっていいのかと問いかけています。欧州を中心に、反発を含めた大きな議論を呼びました」
    要は、「みんな生き延びることに執着しすぎだ」と言うのである。
    この話題に応じる中で東浩紀氏は、アガンベンの指摘を妥当だとした上で、次のように語っている。
    「アガンベンは、人々の意識が『むき出しの生』だけに向けられている状況を批判しました。僕の理解では、むき出しの生とは『個体の生』のこと、自分一人の生命のことです。誰もが自らの『個体の生』に関心を集中させてしまった状態は、哲学で『生権力』と呼ばれる権力を招き入れます。生権力とは、人々の『生』に介入することで集団を効率的に管理・統治する権力のことです」
    (インタビュアー)「人が自分の命だけを大事にすることを考えてはいけない理由とは何でしょう」
    これに対して東浩紀氏は次のように答えている。「人が互いに分断され、連帯できなくなるからです。みんなが『個体の生』しか考えず、生き延びることだけを考える世界とは、ホッブズが言った『万人の万人に対する闘争』的な世界です。コロナ禍で見られた『買い占めパニック』のような状態ですね」
    これを読んだとき、私はちょうど雙葉の入試問題を読んでいた。そして、似た方向性を感じた。
    権力についてはさておき、「自分」すなわち「個」の命への執着に対する警鐘という意味では、共通する部分があるだろう。東浩紀氏はさらに次のようにも語る。
    「一人ひとりはすぐに死んでしまう、はかない存在です。僕たちが生きているのは過去があったからだし、歴史の資産を未来に伝えていくことで流れができる。それが命と呼ばれてきたものではないでしょうか」
    「人々の国際的な交流がなくなる。次世代の教育ができなくなる。劇場がつぶれる。大事にされてきたはずの価値に対し、社会が以前より鈍感にさせられつつあるとしたら、人々の意識が『個体の生』に集中させられているからではないか。アガンベンのような哲学者は今、そう問いかけているのだと、僕は理解しています」
    武田邦彦氏が書いている「自分の命はみんなの命」という主張と重なる部分が、やはりある。
    今現在を生きる自分の命にのみ執着することの危険性。「個」ではなく、「集団」や「社会」を主語にして考えることの重要性。
    東氏の主張も武田氏の主張も、理解はできても行動に移すのは難しいところではあるが、一般人には到達できないこういった逆説的思想にふれ、私は非常に考えさせられた。
    個か、社会か。コロナ禍をめぐるこの対立軸は、「リスク回避をとるか、社会経済活動をとるか」という、一般によく知られた対立軸にも、そのままつながっていく。
    こうした、コロナ禍をめぐるさまざまな対立軸は、今後の中学入試にも(そしてむろん高校・大学入試にも)必ず出題されるであろう、重大テーマである。
    この機会に、じっくり考えてみる価値はありそうだ。

  • 武田邦彦氏の地球温暖化等に対する主張、そして新型コロナに対する主張には納得できない内容が多いが、この雙葉中入試における引用内容には理解できる部分があった。そしてそれが東浩紀氏の主張と重なって見えた。
  • それらを端的に言いかえるならば、「死んでもいいじゃん、人類が生き延びれば」ということだと私は思った。そういう大胆な解釈を、生徒にも話した。こんな乱暴な言いかえではあったが自分でも妙に納得した部分があり、このコロナ禍にあって、気が楽になったのである。

自らの感染対策も時とともに変化した

  • むろん、感染対策は相変わらずガッチリ続けている。ウェブに上げられる写真や文章等を見るに、東浩紀氏(のみならず先ほど挙げた堀江貴文氏、三浦瑠麗氏、小林よしのり氏らも含め)の感染対策への姿勢はだいぶ手薄なようにも思える。それにくらべれば、私は相当厳重である。だから、そういう部分まで氏に共感したわけではない。
  • とはいえ、年月が経つにつれ、より合理的な対策をとるように変化はしてきた。緊急事態宣言下では、ウォーキング中でさえ(マスクはもちろん)ゴーグルをつけていたこともあったが、気温が上がりゴーグルが曇るようになってから、外を歩くときは外すようになった。その後も電車内では9月の終わりくらいまでゴーグルをつけていたが、それまで使っていたマスクのストックが切れて別のマスクに切り替えた結果ゴーグルが曇るようになったのを機に、ゴーグルの使用を完全にやめた。持ち歩くのもやめた。東浩紀氏のインタビュー記事を授業で指導していたのも、ちょうどその頃だった。
  • ゴーグルをつけなくなってから、電車通勤が気分的に多少ラクになった。それでも、窓が開いていなければビニール手袋を取り出して手にはめてから窓を開けることは続けた(今も続けている……が、その前に、窓が開いている車両かどうかをチェックしてから車両を選んで乗るようにしている)。
  • なにごとも慣れである。10月から11月半ばは対面授業があったから通常どおり電車通勤していたわけだが、その間、徐々に慣れてきた。まともにマスクをして窓の開いた車両に乗ってさえいれば問題ない、と思えるようになった(そもそも私の場合、夕方に上り・夜遅くに下りということで、朝夕のラッシュに乗る人々にくらべればその時点で大幅にリスクは低かったが)。
  • 「慣れ」を「気の緩み」と呼ぶ人もいるが、いわゆる「新しい日常」に慣れ、各自が自分なりの行動規準を持てたことにより、社会経済が回り始めたのだから、「慣れ」はプラスにとらえるべきことだろう。
  • コロナ禍における外出らしい外出は、11月になった。まだ一度も会いに行ったことのない上野動物園のシャンシャンが年末に*いなくなってしまうため(*その後延長されたが)、早く行かなくてはいけない。行くなら今しかない(感染者数がさらに増えたら行けなくなる)。よし予約だ。と決めて行動したのが、11/07だった。その後、11/17に、上野動物園に行ってきた。実に、まともに生活圏の外に出たのは2月以来。

  • その日のツイートに、こう書いた。「コロナ禍以来、塾(東戸塚)及び日々のウォーク範囲を越えての外出は今日が初。やはり、ときには外に出るべきだと実感。多少のリスクをとってでも。それが生きるということ」
  • むろん、外食も3月頃から一切していない。代わりに、デリバリーは週1くらいのペースで頼んだ。外食産業支援の気持ちも込めて。
  • その後、12/15にはみなとみらい(近隣だが)のイルミネーションも見て回ってきた。予想外に人がおらず、「密」どころか逆に「疎」で、驚いた。平日(火曜)ではあったが18時半だったし、例年の様子からすれば、もっと人がたくさんいてもおかしくないのだが。人出は増え続けています、といったメディアの報道はやはり話半分に聞くべきだな、と実感した。

煽る煽るメディア

  • メディア、特にテレビは、とかく不安を煽るのが好きだ。望遠レンズで水平に撮影し圧縮効果を利用して実際以上に人が密集しているように見せる手法はお手のもの。ラッシュ時間帯の品川駅の構内などはともかく、実はさほど人のいない商店街などをあたかも密であるかのように撮影する手法は、批判も浴びた。
  • 感染者数が増えているときはもちろんだが、たとえば緊急事態宣言が明けた5月下旬、感染者数が減ってきてようやくほっとしているところに、NHKが特集をバーンと投げかけてくる。ダイヤモンドプリンセスにおける感染拡大事例の検証番組とか。感染して家族が亡くなった方のインタビューとか。「忘れるなよ」と言わんばかりである。
  • 各国でワクチン接種が始まっている最近では、重度のアレルギーを持つ人が接種した結果アナフィラキシーが出たとか、そういうレアケースを、大々的に報じるようになっている。これまた、お得意の煽りである。
  • もちろん、そういう警鐘も大切である。しかし、見る側が能動的に取捨選択しなければ、過剰な恐怖ばかりが募ってしまう。そういうことを世間がだんだん学びとり始めたのも、5月下旬くらいからだったかもしれない。
  • テレビメデイアはそういう恐怖を煽るのが好きな反面、バラエティ番組などでは正反対の行動がよく見られた。緊急事態宣言下では、新たなロケなどができず総集編にしたり、タレントがリモートで参加したりということが目立っていたが、だんだんと変化してきた。
  • 今や、マスクはおろかアクリル板もなしに、2mの距離だけ空けてスタジオで大声を張り上げ、普通に放送している。タレントたちは諦観に立たなければ出演できないよなあ、とよく思う。マウスシールドやフェイスシールドは相変わらずつけているケースが見られるが、あれは実効性というより視聴者からの批判をかわす目的なのだろう。
  • バラエティではそのありさまなのに報道番組では「気の緩み」と偉そうに語るそんな矛盾も、とうに見慣れてしまった。

マスク、マスク、マスク

  • 先ほど書いた「合理的な対策」に話を戻す。
  • 当塾では、対面授業の際は徹底した対策をとっていると同時に、感染者数に応じて完全オンラインに切り替える方式をとってきた。そのため、2020年2月から12月のカレンダーは以下のようになった。白い部分が、対面授業を行った日である。非常に少ないが、致し方ないところだ。
  • 対面授業を行うにしても、個別指導の際に対面して座る形式は、4月からとりやめている。こちらに載せた写真のように、アクリル板をはさんで立ったままノートの添削を行う形にしている。座ってじっくり個別指導できないことに対し非常にもどかしい感覚が今でもあるが、これも致し方ないところだ。
  • こんなふうに私は相当厳重に対策をとっているわけだが、ウォーキング中はマスクをしていない(つけていた時期もあったが、今はつけていない)。もちろん、電車や建物(屋内)に入る場合は必ずマスクをつけているが、屋外をウォーキングするだけなのにマスクをするのは、やりすぎだと思う。
  • そもそもかなりのスピードで歩くので、マスクをしていては運動にならない。これはジョギングと同じだ。しかしジョガーと異なるのは、常に口を開けてはあはあ呼気を撒き散らすほどではないこと、そして、意識的に他人と距離をとりながら動けることだ。だからノーマスクでも問題はない。
  • まあジョガーとて、他人と距離をとることは可能なはずだ。しかし、彼らは距離をとらない。コロナ禍以前から私はずっと、歩行者の真横を猛スピードですり抜けていくマナー違反のジョガーが大嫌いだったが、ことコロナ禍においてノーマスクジョガーがそれをやる姿には、もはや憎しみしか感じない。歩くことと走ることは、似て非なる行為なのだ。
  • 緊急事態宣言下、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授が「ランニングするならマスクかバフをつけるべきだ」とyoutubeで訴え、そのおかげでマスクかバフをつけたジョガーが増えた時期があった。しかしそれも、夏を迎えるころには消えていった。熱中症対策としてむしろ積極的にマスクを外せという厚労省からのお告げも出てきたからだ。だから、ジョガーがノーマスクであることは致し方ない。しかし、だったら距離をとれと強く思う。
  • すれ違ったくらいでは感染しないと言う専門家もいるし、実際そうだと私も思っている。しかし、風向きが悪ければ、そして相手が息を吐くのと自分が息を吸うのとのタイミングが合ってしまえば、すれ違っただけで感染することもあるのではないかと、今でも思う。だから、ノーマスクジョガーとすれ違うときには基本的に自分から距離をとるか、やむを得ない場合は息を止めるようにしている。
  • ノーマスクジョガーはさておき、今でも街中では、屋外であっても律儀にマスクをした人のほうが圧倒的に多い。今は冬なので違和感はないが、夏に誰もがマスクをしている光景には、そのつど強烈な違和感を覚えた。異世界にいるような気すらして、頭がくらっときたこともあった。来夏は、果たしてどうなっているであろうか。
  • ともあれ、どの場面でマスクが必要でどの場面で不要なのか、社会的に認められるレベルの細かな規準を自らの内に持って行動するしかない。
  • マスクと言えば、地蔵や銅像の類にマスクをつけさせるのも流行った。緊急事態宣言下の頃は啓発の意味もあって悪くない、面白いと感じていたが、今は、違和感しか覚えない。ハロウィーンのイラストもこのありさま(まあイラスト程度なら可愛いもんだが)。
  • 先日は、毎日通る山下公園の「赤い靴はいてた女の子像」にまでマスクをつけさせた人がいたので、その日のうちに公園管理課にメールをし、外してもらった。ロイヤルウイングのサンタクロースにもマスクがついている。これは当然運営会社側がつけたのだろうから文句を言ってもしかたないのだが、なぜ海の上でまでマスクさせるの、と思わざるを得ない。見ていて息苦しい。
  • 各国にくらべて日本人のマスク着用率は高い。おそらく世界一だろう。その理由について、したり顔で「同調圧力のせいだ」と語る人が多いが、果たしてそれだけだろうか。たしかに、人から白い目で見られてまでノーマスクでいる「勇気」のない人は多く、そういう集団主義的な振る舞いが日本人に多いことは常識ではある。しかし、同調圧力だけであれだけ多くの人がマスクを着けるとは思えない。結局は、単純に自分が感染しないようにという実用目的で着けているのだろう。
  • さらにマスクの話題。いわゆるアベノマスク。ご多分に漏れず、使っていない。ただ、当初はこうした安倍政権の対応を、私はどちらかと言えば肯定的にとらえていた。誰にとっても未知だらけのパンデミックにおいて、いちいちこうした決断を否定する人々に違和感を覚えていた。しかし結局は、届くまで異常に時間がかかり、多くの日本人がマスクを手に入れられるようになってから届く形となったため、無用の長物になった。90億円はなんだったのか。今となっては、そう思わざるを得ない。

政治家も試行錯誤の連続だった

  • 安倍政権が2/27に打ち出した一斉休校は、少なくともそのときは、やるしかなかったのだと思う。私は肯定的にとらえている。ただ、今このひどい感染状況でも学校教育がなんとか成立していることを考えると、必要なかったという意見にも理はあるだろう。「最初はガツンとやり、ウイルスの特性が分かってきたら修正していくというやり方がリーダーには求められる」という橋下徹氏の意見には、賛同できる。
  • 学校教育が成立していると書いたが、大学の授業だけは、小中高にくらべて相変わらずまだオンラインの比率が高いらしい。大学生活を満喫するどころか画面を前にして部屋に閉じこもらねばならない日々を強いられているのは、実に痛ましく思う。特に新1年生は悲哀の境地だろう。私の塾からも新1年生が出ているが。1日も早くまともな大学生活を送れるようにと願わずにはいられない。大学生は行動範囲が広いから感染リスクが高まるだとか、あれこれ理由づけしている大学も多いようだが、それは大学の授業やゼミまでも封鎖する理由にはならないだろう。課外での行動に注意喚起しさえすれば、成立すると思う。
  • GOTOに関しては、当初から疑問しかなかった。完全にコロナ禍が収まってからやる未来の話を、なぜ第一波が過ぎただけで実行するのか。たしかに、観光業やその周辺の職種の人々をある程度救う結果にはなっているようだから、全面的に否定はしない。しかし、GOTOなんてやらなくても、旅行したい人はそれ相応に勝手に旅行するだろうし。政府が「さあ旅行しろ」と先導する必要があるのか。疑問である。
  • 今は12月下旬、日々感染者数が「最多」を更新している。政府と専門家分科会は、緊急事態宣言はまだ要らないと言っている。一方、立憲民主党の枝野氏は「一日も早く緊急事態宣言を」と訴えている。私も3月下旬~4月初旬には「早く出すべきだ」と思っていたが、今は思わない。緊急事態宣言を今出したとしても、先にも述べたように人々はみな「自分の行動規準」を既に持っているから、それに従って行動するだろう。素直にステイホームする人はほとんどいないだろう。制限を加えるなら、やはりまず特措法改正である。
  • 折しも今日(12/23)の読売新聞1面に、特措法改正への動きが出ているとの記事が掲載された。「政府は新型コロナウイルス対策を強化するため、新型インフルエンザ対策特別措置法の改正案を来年の通常国会に提出する方針を固めた」とのことである。ようやくか、というところだ。あまりに遅い。橋下徹氏などは4月からずっと改正せよと言い続けてきている(例1 例2 例3)。以下、今日の読売新聞の記事を抜粋しておく。
  • 感染が拡大している都道府県の知事は現在、特措法24条に基づいて飲食店などに時短を求めている。国と自治体は応じた店舗に協力金などを支払っているが、改正案にこうした支援措置を明記することで、実効性を高める考えだ。自治体への国の財政措置の規定も盛り込む方向で検討する。特措法はまた、緊急事態宣言が発令された都道府県では、建築基準法などの規制にとらわれずに臨時の医療施設を開設できると48条で規定している。改正案では、発令の有無にかかわらず、開設できるように定める予定で、感染の急拡大に備えられるようにする。政府は当初、感染収束後に抜本的な法改正に取り組む考えだったが、感染拡大が長引く中で自民党から改正を求める声が強まり、現状に即した必要最小限の改正を行う方針に転じた。政府内には、指示や要請に応じない店舗への罰則規定や私権制限につながる改正について、必要性を指摘する声がある。

  • 「政府は当初、感染収束後に抜本的な法改正に取り組む考えだった」。信じられない。すぐにでも必要な特措法改正をずーっと後回しにし、一方でGOTOキャンペーンをどうするかをずっと議論しているような政権が、長持ちするはずもない。まあGOTOもありだったのかもしれないが、大事なのは順序だ。まず特措法改正、次にGOTO。こうでなければならなかったのに、逆だったのだ。

コロナ禍は、教えなければならない

  • 「コロナ禍をめぐる対立軸一覧」というものを、私は5月下旬に作成し、中高生の生徒に配付した(生徒はこちらからDL可/いずれnoteで有料閲覧できるようする予定)。緊急事態宣言が明け、対面授業を久しぶりに再開するタイミングだ。少なくとも中高生には、コロナ禍について教えなければならない。そう確信したからである。震災のときもそうだったが、その後数年間は、災禍をテーマにした評論文等が増え、それが読解や小論文の課題として出題されることが増える。
  • そもそも国語、いや言語とは、森羅万象あらゆるものごと・できごとがその指示対象となる。世界に広がり百年単位でしか起こらないレベルの災禍となったコロナ禍を扱わずして、何を「考える」というのか。
  • コロナ疲れという言葉は3月から既にメディアに出てきており、大人も子どもも、5月下旬には心身の疲弊が増大していただろうから、授業でコロナ禍を扱うことにためらいがなかったわけではない。しかし、そういう感覚的な「疲れ」を乗り越えるためには、理性によって正面から問題に向き合うしかない。コロナ禍をめぐる諸問題をリストアップして全体を俯瞰することで、冷静になってほしい。そういう願いも、その授業にはこめられていた。
  • 「コロナ禍をめぐる対立軸一覧」は、A4で5ページに及ぶリストである。日本十進分類法に基づいて、自らが2~5月の間に見知ったできごとをリストアップした。一部のみ、紹介しておこう。

    経済か命か/「経済か命か」か、「別の対立軸」か/自粛要請か、強制か/オンライン社会の是非/一斉休校の是非/心理的距離と物理的距離/感染症専門家が決めるのか、官僚~政治家が決めるのか/特措法の是非/地方が決めるのか、中央が決めるのか/集団免疫の是非/PCR検査を増やすことの是非/あふれる「無料」の功罪/恐怖を煽る報道の是非……等々。

  • 授業ではまず、生徒自身の興味と体験的知識の範囲をもとに、対立軸を挙げさせた。それをチェックしてコメントしたあと、私が作成した対立軸一覧を配付。ひととおり目を通させたあと、そのなかの5つをピックアップして提示。そこから1つを選ばせ、数百字の意見文を書かせた。
  • その後、はや半年。新たな対立軸はたくさん登場している。いずれまた対立軸一覧をまとめて授業しなければ、とは思っている。

2020年のできごとを時系列で振り返る

  • 思いつくままに断章を羅列してきたが、そろそろ終わりたい。が、その前に、この1年間のできごとを時系列で整理しておきたい(これも思いつくままだが)。
  • 01/09 中国で多発の「原因不明」肺炎、新型コロナウイルス検出(読売新聞ツイート/該当記事
  • 01/16 神奈川県30代男性、国内初の新型コロナ感染(Yahoo!ツイート)「中国で感染が相次ぐ新型コロナウイルスが原因とみられる肺炎の患者が、日本国内で初めて確認された。厚労省によると、感染力は高くなく日本で流行する可能性は低いという」

    こんなことを言っていたころもあった。

  • 01/21 ダイヤモンドプリンセスの写真(私のツイート
  • 01/26 今年の数少ない外食(この日のツイート)テーブルで待つ間にモノタロウに残っていたマスクをウェブで購入(既に街中にもネットにもほとんどなかった)
  • 01/31 イギリス、EUを離脱
  • 01/31 新型コロナウイルス感染症が指定感染症に決定(NHKのツイート):「政府は新型のコロナウイルスによる肺炎を、法律に基づく「指定感染症」などにする政令について、2月7日としていた施行日を1日に前倒しする方針を固めた。1日から国内で感染が確認された場合に、法律に基づいて強制的な入院などの措置をとることができるようになる」
  • 02/02 TWICEハイタッチ会に初めて参加しナヨンに会うはずだったが中止になってしまった(2/03のツイート
  • 02/03 ダイヤモンドプリンセスが横浜に戻る前日(NHKのツイート):「新型コロナウイルスへの感染が確認された香港の男性が乗船していたクルーズ船が4日、周遊を終えて横浜に戻ることから、厚生労働省は男性と接触した人の特定を進めるとともに、乗客が上陸する際の検疫など、水際対策を徹底することにしています」
    • ダイヤモンドプリンセスをめぐる私の写真入りツイート1年分を一覧で見る(その1/その2
  • 02/15 厚労相が国内での流行を事実上認める発言(日テレの動画記事
  • 02/16 2/23に予定していた「ほぼ月1講師塾」の中止を決定(02/16の単発授業は実施:この日のツイート たぶんこの日が今年最後の外食)
  • 02/27 全国一斉休校宣言(この日の私のツイート
  • 03/02 ダイヤモンドプリンセスの全乗員乗客が下船完了
  • 03/04 TWICEの東京ドームコンサート、延期で行けず(その後延期を重ね結局中止に)。2019年夏から活動を休止していたミナが復活するライブで楽しみにしていたのだが(結局2月下旬の福岡ドームがTWICEの今年最後の日本公演となった:そのときはミナも復活を遂げていたのだが……ミナ自身も東京に来られず悔しかっただろう)。
  • 03/06のダイヤモンドプリンセス

  • 03/11 WHO、パンデミックを宣言(この時点で110カ国、感染者数11万8千人、死者4300人:読売新聞12/20より)
  • 03/11 春の甲子園の中止が決定:大会史上初(リセマムの記事
  • 03/24 東京オリンピック延期が決定(日テレの動画つきツイート
  • 03/29 志村けん氏、新型コロナで死去
  • 04/07 緊急事態宣言(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県)(首相官邸記事
  • 04/16 緊急事態宣言(全国に拡大)(首相官邸記事

    Yahoo!より

  • 04/23 岡江久美子氏、新型コロナで死去
  • 05/04 緊急事態宣言(延長を宣言)(首相官邸記事
  • 05/16 ダイヤモンドプリンセスが横浜を出港(私のツイート
    • ダイヤモンドプリンセスからツイートし続けた乗客の日記
  • 05/20 夏の甲子園の中止が決定:戦後初(リセマムの記事
  • 05/25 緊急事態宣言、全国で解除(首相官邸記事

    緊急事態宣言解除を受けて、全面封鎖されていた山下公園のベンチも、1つ置きに座れるようになった。

  • 05/25 プロ野球開幕日が6/19に決定(NHKの速報ツイート
  • 05/29 アメリカ、WHO脱退を表明
  • 06/19 プロ野球開幕
  • 06/30 香港、国家安全維持法が施行
  • 07/07 大リーグ開幕日決定(Yahoo!記事
  • 07/10 プロ野球、無観客試合解除(条件あり)(NHKの試合結果ツイート
  • 07/17 横浜スタジアム公式戦に今年初めて観客が入る
  • 07/18 三浦春馬氏、自殺の報(FNNの記事
  • 07/24 大リーグ開幕
  • 08/28 安倍晋三首相辞任会見(潰瘍性大腸炎悪化を理由に)
  • 09/16 菅義偉新首相誕生(石破茂氏に有利となる地方党員票が全うに反映されない形での党総裁選挙の結果)
  • 09/19 プロ野球の観客動員数が緩和(ハマスタ映像つきのサンスポツイート
  • 09/27 竹内結子氏、自殺の報(時事通信の記事

    Yahoo!より

  • 10/02 トランプ大統領、新型コロナ感染
  • 11/03 アメリカ大統領選挙
  • 11/07 バイデン氏、勝利宣言
  • 12/14 選挙人投票によりバイデン氏の勝利が確定
  • 11/28 ダイヤモンドプリンセス航行再開の全面広告(私のツイート
  • 12/14 GOTOトラベルの全国一斉停止を決定(日経記事
  • 12/17 指定感染症、1年延長へ(時事通信の記事)(日経メディカルの記事:決定の会議における現場医師の発言あり/会員限定記事)
  • 12/下旬 内閣支持率急落(Bloombergの記事)(NHKサイト

2021年に希望をつなぐ

  •  来年2021年は、きっと希望の1年になるだろう。脅威的スピードで、そして一定の信頼性で開発されているワクチンの接種が、広がるからだ。
    • イギリスの免疫学者・医師、小野昌弘氏のワクチンに関するツイート(1 2 3
      • 早く開発できたのには理由がある:がん・他のウイルス感染症のため、設計に柔軟性があり開発が早い新しいワクチン技術が既に完成していた/英政府などワクチン成功がわかる前から購入契約をし、製薬企業は失敗を心配せずに開発できた/効果が大規模な臨床試験で想定以上の結果だった

      • さらに、英米は安全で効果的なワクチン・医薬開発をするための仕組みが整っており、その要である公的な規制当局が独立して信頼されるものであった。また、臨床試験のデータがでしだい規制当局が書類審査を進めることで事務効率をあげた。

      • 英政府はワクチン開発が大失敗する可能性があったのに多大な投資をした。英国民はワクチンの安全性がわからないにのに数多くの人が自ら被験者となった。皆が大きなリスクを進んでとったからこそ早く開発できた。勉強もせず不安を弄ぶのは社会に有害。それくらいなら科学記事を書かない方が世のため。

  • オリンピックなんてやめちまえ、という言い方をする人もいる。しかし私はそんな粗野な発想はしない。オリンピック、というよりスポーツは、人の心を――本人が思っている以上に――鼓舞してくれる(プロ野球はまさに今年の私を勇気づけ、元気づけてくれた)。コロナ禍の今ほど、スポーツが、オリンピックが、必要なのだ。日本の、世界の人々にとって。
  • オリンピックがあるからこそ、日本も必死になってワクチン接種時期を早めようとしている。慎重かつ大胆に、である。来年の夏は、明るい夏になってほしい。
  • 2018年より2019年、2019年より2020年のほうが、体調はよかった。そして幸い、新型コロナにも感染せずに過ごせた(と思われる)。来年も好調を維持できるよう、人事を尽くして天命を待つのみである。
  • 私は「答えのない問い」という言葉を”愛用”する教師たちが嫌いである(参照)。今まさに我々が直面しているこのコロナ禍こそ「答えのない問い」の最たるものだが、その問題を打開するためにどうすればよいのかを考えるために不可欠なのは、「答えのある問い」に的確に答えるための基礎知識であり、思考技術である。これからも、私自身が知識を身につけ、技術を磨き、それらを生徒に、あるいは読者に、伝授していきたい。

号外


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