「なぜですか」から始めてはいけない(『国語教育』誌2020年11月号掲載論文を公開)

以下は、『国語教育』誌(明治図書)2020年11月号に掲載した論文を全文公開するものです。

1.コロナ禍が教師に突きつける「問い」

コロナ禍によって、オンライン授業やオンデマンド授業が当たり前になった。前者は同時双方向、後者は動画提供(同時ではなく一方向)の形をとる。
そして、世の教師たちは、次のような問いを突きつけられることになった。
「自分は何を教えたいのか?」
これまでは、「あなたがたは何を学びたいのか?」という問いによりかかって、自らの指導内容を突き詰めずに授業をしてくることができた先生方も、ウェブを介した授業が始まった今、自身の指導内容にあらためて目を向けざるを得ない状況になっているはずである。
なぜそう言えるのかについてここで解き明かすつもりはないが、思うに、空間を共有していないということは、発信側と受信側の境界線が明確になりやすいということなのかもしれない。だから、自身が「教える身」であることにはたと気がつくことになる。まして、オンデマンド授業のように、空間のみでなく時間も共有できないとなると、それはより顕著になる。
何を教えたいのか。何を教えるべきなのか。
この問いに対して最も答えづらいのが、国語である。
教科書を見てもいまひとつはっきりしない。算数・数学なら、教科書を見ればはっきり書かれているのに。
しかし、もし国語にも算数・数学と同じような「公式」があったらどうだろう。
きっと、明確な目的意識を持って指導できるようになるし、児童・生徒の成果も目に見えるようになり、日々の授業が楽しくなるはずだ。
その「公式」が、これである。

ふくしま式「3つの力」
ふくしま式「22の鉄則」
ふくしま式「200字メソッド」
ふくしま式「7つの観点」

ひとことで言えば、論理的思考の「型」の数々である。詳しくは、私がこれまで刊行してきた24冊(まもなくもう1冊出す予定だが)の本をごらんいただきたい。今回は、その中の「200字メソッド」に関連した話をしよう。

2.「なぜですか」より優先すべき問いとは?

今「もう一冊」と書いたのは、いわゆる御三家(開成・麻布・武蔵、桜蔭・女子学院・雙葉)をはじめとする難関校中学入試問題(特に記述設問)の解き方を詳述した本である。目下、その原稿と向き合う毎日なのだが、そこでひしひしと感じることがある。
どの学校も、「なぜですか」という問いが大好きなのだ。
「なぜですか」がそんなに好きなのはなぜですか、と逆に問いたくなるほど、頻出している。
その答えは、端的に言えば「難しいから」だと思われる。総合力が問われるということだ。だから入試に出る。
長文読解というのはただでさえ総合力が問われる世界であり、ハードルが高いのだが、その中でも特にハードルが高いのが、「なぜですか」である。
世の問いという問いは、次の3つに集約される。
上段は問い、下段は問われている論理関係の種類だ。

1「どういうことですか」……抽象・具体の関係を問う
2「どう違うのですか」……対比関係を問う
3「なぜですか」……因果関係を問う

実感からして、入試読解に出る頻度は、3→1→2の順である。しかし、私が生徒に教える頻度は、2→1→3である。実は、1・2の関係整理ができないことには、3の関係整理はできないのである。
このことを、対話形式の具体例で示そう。AさんとBさんの対話。まずAさんのセリフから。
「この弁当屋の手作りおにぎりって、なんだか愛着わくよね」
「なんで?」
「だって、手作りっていいと思うんだよね」
「え? なんで?」
「うーん。なんか、限定50個、全部手作りです、みたいなのって、よくない?」
「え? なんで?」
「うーん。コンビニのおにぎりよりもいいでしょ?」
「え? なんで? どう違うの?」
「だって、コンビニって誰が作ってるか分からないし」
「ああ、まあね。でも、私、いつも使ってるコンビニにすごく愛着あるけどなあ。この弁当屋さんよりも。なんでこっちのほうが愛着わくの?」
「うーん。結局さ、大量生産のお店より少量生産のお店のほうがいいってことなんだよね」
「なるほど。でも少量生産だとなんで愛着わくの?」
「少量生産だと、作った人の顔が見えるでしょ?」
「え、どういうこと? このお店で作ってる人、たいてい奥のほうにいて顔が見えないよ?」
「そういうことじゃなくて。うーん、つまり、生産者の個性が表れるってことだよ」
「ああ、なるほど」
「コンビニは、それが足りないんだよね」
「ああ、分かってきた」
「生産者の個性が表れてる。だから、愛着がわくってこと」
「納得。ありがとう」

3.対話の中の論理関係をチェックする

なんでなんでと「理由攻め」に遭い、めげずに一生懸命答えた結果、ようやく理解してもらえたようだ。
しかし、テストにはこんな「やりとり」はない。一発で「納得」と言わせなければいけない。
Aさんは、途中で対比関係を使った。
コンビニを持ち出した箇所である。
それによって、Bさんの理解は深まり始めた。ただ、コンビニにも愛着があるけど、などと違う方向に行きそうになってしまった。
そこでAさんは、抽象化を行った。
弁当屋とコンビニ。この具体例を、少量生産と大量生産に言いかえた。
すると、Bさんの理解はさらに深まった。でも、まだBさんは、「奥にいて顔が見えない」などと言い出す。
そこでAさんは、また抽象化を行った。
「つまり、生産者の個性が表れるってことだよ」
具体的な「顔」の問題ではなく、「個性」と言いたいのだ、と、抽象化したわけだ。
そして、最後に「愛着がわく」という結論と、それらの根拠を結びつけ、因果関係を完成させた。

4.まず教えるべきは同等関係・対比関係

さて、Aさんのメッセージを、文章化しておこう。

大量生産では、たとえばコンビニに並んだ、形も大きさも重さも均一のおにぎりのように、商品に生産者の個性が表れにくい。
一方、少量生産では、たとえば弁当屋に並んだ、形や大きさや重さが均一ではないおにぎりのように、商品に生産者の個性が表れやすい。
だから、大量生産よりも少量生産のほうが、消費者は商品に愛着を抱きやすいと言えるだろう。

これを型にすると、こうなる。

[ア]は、たとえば[1]のように、[A]。
一方、[イ]は、たとえば[2]のように、[B]。
だから、[ア]よりも[イ]のほうが、[C]。

これは、ふくしま式「200字メソッド」の型である(正確には、その変形バージョンの1つ)。
Aさんの最初のメッセージは、「弁当屋のおにぎりは愛着がわく」、つまり「[2]は[C]」だった。
その理由を問われる中で、まずコンビニ、[1]を持ち出して対比した。
次にそれを[ア][イ](大量生産・少量生産)、[A][B](個性が表れるかどうか)へと抽象化しつつ、対比した。
結局、納得のいく理由を説明するために行ったことは、対比関係の整理と、抽象・具体の関係(私はこれを同等関係と呼んでいる)の整理であった。
さて。「なぜですか」という問いにまっとうに答えるためには、まず「どう違うか」「どういうことか」の2つを解決しなければならないということの意味が、少しは伝わっただろうか(この2つの問いが、Bさんのセリフに入っていることを確認してほしい)。
授業において、安易に「なぜですか」と問うなかれ。
まず教えたいのは、同等関係・対比関係である。
わが塾でも、今年の夏からオンライン授業を始めた。
日本各地から(海外からも)、続々と生徒が集まり始めている。そんな中、あらためて授業前に自問するようにしている。「自分は、何を教えたいのか?」と。

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