2023年の記録

新年初カモメ 一見巨大にも見える

自身の周囲のできごとから日本~世界の社会情勢まで随時記録。
2020年2021年2022年

年頭所感

  • 腑抜け政治・腰抜け総理のせいで、世界中で日本だけがまだ「コロナ禍」である。中国でさえ昨年暮れには、国内で湧き上がる抗議の声を受け「ゼロコロナ」から「普通の風邪扱い」へと方針転換したというのに。日本では政治家も皇室もマスクをやめず、いわゆるセンモン家やコウロウ省はコロナ・インフル同時流行ダァ~感染対策シロォ~と相変わらず馬鹿の一つ覚えのように騒ぎ立て、それを素直に聞き入れるコロナ脳たる各界リーダーが各業界ごとに取り決めをしてマスクを実質強制させ、かつ声を出させず、電車に乗れば顔のほとんどを白い布で隠した無表情なヒューマノイドが静かに座っている。
  • もうここまでくると、コロナ禍を終わらせることは「目指すべきゴール」ではなく「面倒な変化」であって、むしろそんな変化は拒んでこの3年間と同じような1年間を過ごすほうがラクだ、と思っている国民が多いのではないかと本気で思えてくる。結局彼ら国民は、自分さえよければよいのだ。「大切なあの人」を守るためにマスクを、とか言って他者の命を大事にしているように見せかけて、その実、他者の集まりである社会の回復など気にもとめず「自分だけは他人に批判されないようにマスクをし続けていればよい」と思っている。本当に社会を回復させたいのなら、せめて自分だけでもマスクを外し、回復の一助になろうと努力するはずなのだ。マスクを外す人は自分勝手でわがままだと思っているそこのあなた。正反対である。マスクをし続けている人間こそが自分勝手でわがまま。自己保身だけが彼らの価値。一方、マスクを外す人は挑戦者だ。1日も早く社会を変えたい。それが多くの人間を救う。だからこそ戦うのだ。
  • あなたは、「たかがマスク」と思っているだろうか? とんでもない。コロナ禍は、まぎれもなく「マスクによって」継続している。マスクこそが社会に「コロナ禍は続いている」という空気を生み出す。ひとりまたひとりとマスクを外すようになりさえすれば、その空気は崩壊し、コロナ禍は自然に消えて終わる。空気こそが、日本人を動かしているのだ。
  • ふくしま国語塾では今年も当然ながら「原則ノーマスク」を貫徹してゆく。以前から主張しているように、半ば強制してでも子どものマスクは外させるべきである。むろん有形力を行使して外させるのではなく、内発的に外せるよう指導するだけだ。ウイルスに関する客観的データを与え、一方では主観的経験を語り、それらをとおして考えさせ、振り返らせ、顧みさせる。それでもダメなら指示をする。外しなさい、と。
  • 当然のことだが、そうしたからといって、全ての子が外すようにはならない。現状が1億総マスク社会であり、まして自己を隠すことを好む日本人の社会なのだから。たとえば100人に対して「外しなさい」と指示し、20~30人が外したとすれば、本来はそれで十分である。成員どうしの関わりが比較的強い集団、たとえば学校であれば、そこから自然発生的に、自分も外そうかな、という子が出てくる。しかし、もし強制的に指示しなければどうなるか? 現在の日本社会では、せいぜい2,3人しか外さないだろう。残りの大多数による同調圧力に勝つ勇気がある子だけが外し、あとは外さない。強制的指示がなければ、そういうことになる。すなわち、子どもは自ら、マスクの犠牲になり続けるほうを選ぶ形になる。
  • 私はバーゲニング理論を主張しているだけである。8と主張する。相手が3と返す。7と主張する。相手が4と返す。6と主張する。相手が5と返す。そこで妥協する。実は8ではなく5がこちらの最初からの狙い。それと同じ。100人全員外させることなど最初から目指してない。しかし全員に指示する。
  • こういった「主張の真意」を理解できない人は「強制」という言葉に強く反応し、「許せない」と言い出す。彼らには知性がない。あるように見えて、ない。話にならない。マスクをさせ続けたい人間のみでなく、マスクを外せる社会を目指している人間たちの中にも、「自由」という美辞麗句に酔い、私のように強く訴える人間を「反マスク」などとネーミングし、批判する人間がいる。愚かなことだ。現実を見よ! 「自由」などと叫んだところで、「じゃあマスクをつける自由があるだろ」と言い出す人間が続出し、社会は変わらない。あえて書こう。「反マスク」こそが、この異常な狂気の日本社会を変え得るのだ。バーゲニング理論で考えれば良い。どれだけ反マスクが頑張ったところで、全国民が一斉にマスクをやめるはずがない。でも、それでよいのだ。目下の目標は、たとえば、電車の1両の中に2割ほどのノーマスクがいる状態を作ること。学校の教室で、2割ほどの児童生徒をノーマスクにさせること。そうすれば、あとは時間の問題だ。
  • そうやって変化が起こり始めたとき、初めて「自由」という理想を掲げればよい。言うまでもなく、強制より、自由のほうが良いのだから。「マスク着脱は自由だ!」と訴えることによる変化が期待できるのは、2割ほどが変化した状態からである。それまでは、強制するしかない。指導者が。リーダーが。「長」のつく立場にいる人間が。
  • ともあれ、残念ながら今年も、狂気のマスク依存症社会との戦いは続きそうである。私は自分が正しいと信じているから、ノーマスクを貫き通す。正しいと思っていても同調圧力のせいで実行できないような、情けない「あなた」とは違うのだ。これを読んでいる「あなた」。あなたもきっと、なんだかんだ言いながらもマスクをして自己保身している存在に違いない。電車の中でマスクを外せるかどうか、これが分岐点だ。当然だが私は常時、外している。それが2019年までの常識だったことを、あなたにも、思い出してほしい。常識、と書くことさえ違和感がある。マスクをせず素顔でいることは、「常識か非常識か」などという判断の枠外にあることであり、呼吸と同じくらい当然のことだったのだから。それが変わることがそもそも異常であると気づかない、あなた。いいかげんにしてくださいね。
  • ちなみに。2020年の記録を見ていただくとわかるが、私も当初は相当な「コロナ脳」だった。しかし徐々に考え方が変わり、完全な転換点を迎えたのは2022年5月初旬。「GW明け以降はマスクをつけずに授業する」ことを生徒・保護者に宣言。同時に、生徒らにもノーマスクで授業を受けるよう進言。その後2,3ヶ月を経て徐々に外す子が増え、9月には95%、10月には100%の子がマスクを外す形になった(まあ数名のマスク依存の親子が塾を去っていったが、それは織り込み済み)。私自身の変化のきっかけは、第1に、マスクをして授業するのがあまりに息苦しかったこと。第2に、顔を隠した生徒の顔を見るのが精神的に耐え難かったこと。第3に、どこへ行っても顔を隠している社会にうんざりしていたこと。電車でマスクを外すことにしたのもGW明けからだった。ということで、今は完全ノーマスク主義者ではあるが、けっこう最近まで、違っていた。言いたいのは、「今コロナ脳のあなたも変化できますよ」ということ。ウェブを見ていると、「私はコロナ禍当初からずっとノーマスクだったぞ」というように一貫性を主張する人がいる。それはそれで尊敬に値する先見の明だと思うが、私を含むたいていの人は、初体験のパンデミックに恐れをなし、慎重に行動していたはずだ。それは、やむをえないことである。だから、「一貫していなかった人」も、なんら臆することはない。今から変わればよい。簡単だ。今すぐ、耳に手をやって、その白い布切れを外すこと。それで、変わることができる。さあ、どうぞ。

マスクを外すべきこれだけの理由

  • 01/03 箱根駅伝で駒澤大学が総合優勝、出雲全日本選抜(10月)全日本(11月)と合わせて史上5校目の大学駅伝3冠達成
  • 01/27 感染症法「新型インフルエンザ等感染症」から「5類感染症」への引き下げ開始日を5/08と決定。しかし「特段の事情が生じない限り」などと逃げ道が設けられている。そしてマスクについても相変わらず「検討」止まり。これが日本のリーダーとは! あまりに情けない。「マスクについては屋内屋外を問わず個人の判断に委ねることを基本とするとともに、政府は、着用が効果的な場面を周知するという方向で検討し、感染状況等もふまえて、今後、時期も含めて早期にその検討の結果を示します」
  • 以下随時更新

2023年 初富士(大さん橋にて撮影)

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